介護施設で働く知人から話を聞いて、気付きがあったので紹介します。
(以下伝聞内容)
施設行事でBBQ大会があり、休みだった自分は参加した利用者に感想を聞いて回っていた。
Aさん「肉が柔らかくて良かったよ。特に伊勢海老が美味しかったな~。お腹いっぱいになった」
Bさん「あんな硬くてマズい肉食べられへんわ。どうせ安もんの肉やろ」
AさんとBさんは普段の食事に関しても全く対照的で、いつもほぼ完食するAさんに対して、「美味しくないからもう要らん」と食事をほとんど残すBさん。
ある日、Bさんの様子がおかしいと救急搬送することになった。幸い入院を要する状態ではなく、施設に戻ってきたが、顔色は優れず言葉少なのBさん。
入所以来、ADL(日常生活動作)の低下が激しいBさんに対し、今も自分で歩いているAさん。しかもAさんはBさんより20歳以上も年齢が上。
2人の差はいったい何か?それは普段から使っている言葉。
愚痴や悪口は周りの空気を悪くするだけではない。
それをいつもそばで聞いているのは自分自身。
諸刃(もろは)の剣(つるぎ) 《両辺に刃のついた剣は、相手を切ろうとして振り上げると、自分をも傷つける恐れのあることから》一方では非常に役に立つが、他方では大きな害を与える危険もあるもののたとえ。
言葉もまったく同じ。ネガティブな言葉は自身の健康さえ蝕んでいるかもしれない。
著書「水は答えを知っている」の中で興味深い実験結果が記されている。
水に「ありがとう」と感謝の言葉を投げかけ続けた結果、美しい結晶ができたのに対し
逆に「バカヤロー」と侮蔑の言葉を投げかけた結果、水の結晶は粉々に砕けてしまったそうだ。
人間の体の60%は水分でできていると言われている。
俗に「憎まれっ子世に憚る」と言われるけれど、本当にそうだろうか?
今まで出会った長生きな方は皆よく喋り、よく笑い、よく「ありがとう」を言う。不機嫌で愚痴や不満ばかりを口にする長生きな方にはまだ出会ったことがない。
生きていく上で日常使っている言葉はとても大事。
言葉を生業にする者として、身の引き締まる思いがした。
【後日談】
憎まれ口を続けていたBさんは、その後寝たきりで食事もままならない状況に悪化。点滴も拒否され、先日ご逝去されました。
片やAさんは「長生きはしとうない」と言いながら、今もお元気で過ごされている。
二人の違いは単なるスピリチュアルでは片づけられない気がする。
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