その時は突然訪れた。
事業部長を交えて2度目の人事面談。
先日の人事評価に関して、納得いかない点についてひと通り述べた。
ところが、上司からは次のような答えが返ってきた。
・月に1度姿を見せるか見せないか程度の管理者が最終評価を付けている。
→「話があるならいつでも来たらいい」
・こちらの意見を求めるわけでなく、評価結果ありきで帳尻合わせのために問題点をひたすら指摘される。
→「会社がもっとも重要と考えている部分を伝えたつもりだが…」
・クレームを受けたことに対して、改善努力をして既に解決済みであってもクレームの事実のみを取り上げ、評価を下げる。
→「クレームが出ていることに対して、真摯に受け止めていない」
・項目ごとの評価について、その根拠を明らかにしない。
→「限られた時間の中でそこまで説明できない」
挙句の果てには5段階評価の「3」は、評価として悪くないと言い出す始末。
問題がなければ「3」、努力しても「3」。
これではモチベーションを上げようがない。
ちなみに「4」以上の評価条件を確認してみたところ、まさに聖人君子レベル。
そもそも普段の仕事ぶりも見ずして、そんな評価を付けられる訳がない。
かくして第2ラウンドは返り討ちに終わった。
しかし、失敗学ではこれを失敗で終わらせない。
承認を与えないまま叱っても、逆に褒めたとしても素直に受け入れられないことを知った。
つまり反面教師と捉えることによって、自分の糧となる。
人は誰しも承認欲求があるが、認めてもらうことにこだわり過ぎると逆に苦しくなる。
心理学者アドラーはこんな言葉を残している。
理不尽な上司や学校の先生に無理やり認めてもらう必要はない。
市場価値の高い人間になればいい。
より大きな共同体で考えればいいのだ。
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